第196回 ミシシッピ・デルタと自由電子近似
無理だ。鰐の腕立伏せ。無理だ。亀の腹筋運動。無理だ。麒麟の懸垂。無理だ。鯨の滝登り。無理だ。ブロガーのIT断食。こんにちは、大島雅己です。
物事をシンプルに、という考え方は好きです。世の中、難しいことが多すぎると感じます。難しいというか、難しい方向に進もうという潮流とでもいいますか、難しいものはエライという妄想とでもいいますか、難しい方が格好いいという幻覚とでもいいますか、そういうものに抵抗を感じます。
物事はわかりやすい方がいいに決まっていると思うのです。オッカムの剃刀ではありませんが、必要でないものは極力なくしていきたいものです。
井上ひさし氏の「むずかしいことをやさしく…」という言葉の通り、世の中で難しいと思われているものをやさしくしていこうという考え方を念頭に置くようにしています。ミニマリズムとかノームコアなどの話をしているわけではなく、「物事の現象は、たいてい最初はゴチャッとしているが、そもそも何がどうあるべきか、何をしたいかを突き詰めて行くと単純化できることが多いのではないか。そこを見極められれば話の骨子をつかみやすくなったり解決の道筋が見つかりやすくなるのではないか」ということが言いたかったのでした。
IT現場では業務上の様々な問題をIT化することを考えますが、考えに身を任せていくとどんどん難しい方向に流れがちです。まず考えるべきことは、IT云々の前に、「解決したい問題」の芯を見出すことだと思うのです。本当にやりたいことは何なのか、とシンプルに考えていくと、案外「なあんだそんなことか」と思えてくることもあります。IT化する必要などなく、業務のやり方を少し変えれば解決することも。
音楽の世界も、難しい方向に進もうと思えばいくらでも広がりそうですが、ふと、フィールド・ハラーのような労働歌の源流に音楽の根源を感じ、これが音楽の全てを物語っているなーと思えてくることがあります。
<今日の本歌>
爆風スランプ「無理だ」