第455回 躁的防衛と視点ハイアラーキー

なんだか皮肉なものだわね。あなた、ブログ業界とは一線を画して我が道を進んでると思い込んでるみたいだけど、実際は、ここにいる私たちがガラクタからお膳立てしてあげたものを書いてるのよ。こんにちは、大島雅己です。

自分でも考え方がひねくれていると思いますが、決して根性が曲がっているわけではないと思うのです。ものごとを疑う目、立ち止まって考え直す姿勢、鵜呑みにしない習慣、とことん追求する精神、そういうものが大事だと思っているからこそなのです。

どんな事象だって、いくつかの面を持っているはずです。二面、三面は当たり前、時には何十、何百ということも。迷った時にはそのことを思い出すのです。後ろから見たらどうなるか。上から見たら、逆から見たら、下から見たら。時間をずらしたら。相手から見たら。場所をずらしたら。外国人が見たら。

以前、車の運転をしていた頃、車線変更が苦手でした。斜め後ろを走っている車の前に出ようとしますが、その車が突然スピードを上げてきたらと思うとビビってしまうのです。これをある時、後ろではなく、斜め前の車の先に入らせてもらうように方針を変えたらスンナリ行けたのです。後ろを気にするのは難しいけど、前ならやりやすい。押してもダメなら引いてみるということです。

何を今さらそんな、といわれそうですが、意外と普段忘れがちです。IT現場でもこういう発想がものをいうことがあります。イレギュラーな依頼が頻繁に起きて困っている時、依頼を減らす対策を考えるより、頻繁に起きているならイレギュラーではないのだから、イレギュラーの定義を変えるという発想だってあるはずなのです。

いやなことがあったら、それを乗り越えるのではなく、それをいいことに転用するとか、いやなことではなくするという発想だって、あってもいいでしょう。

<今日の本歌>
デヴィッド・フランケル『プラダを着た悪魔』

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