第17回 ベートーベンとジェフ・ベゾス

早く帰ってカルピスソーダが飲みたいです。こんにちは、大島雅己です。

ピアノメーカーのベヒシュタインのサロンで「フォルテピアノ変貌の歴史」というセミナーに行ってきました。
西暦1700年から1850年ぐらいの間で繰り広げられた、楽器としてのピアノの構造についてのレクチャーです。
以前、「音楽史を変えた五つの発明」という本でその辺のいきさつを読みましたが、楽器を「演奏する人」もさることながら、「造る人」の苦労もひとしおだなあと、ピアノ職人の奮闘に思いを馳せました。

講義を聴いていてもう一つ思ったのは、「情報伝達」と「物流」の問題です。
18世紀のヨーロッパの情報網の状況がどうだったのか、詳しくはわかりませんが、情報伝達の手段といえば、紙媒体か口コミしかないはず。そんな中で、どこの誰がどんな楽器を造ったかという情報がどうやって伝わったのか。

ピアノは一つの場所で発展したのではありません。原型はフィレンツェで造られますが、次のモデルはドレスデンだし、その次はオーストリアと、バラバラの土地で発展していったのです。
これは何を意味しているのか。情報をもとにそこから新たにイノヴェーションを起こしたのでしょうか。それとも本当に偶然なのでしょうか。ヨーロッパというのは地勢的に情報の伝播による文化の発展が局所的に起こるものなのでしょうか?
また、仮にそうだとしても、それが次世代に向けてどのような形で伝授されたのでしょうか?
そして、ピアノのように実体としてあのように重たい現物を、誰がどうやって運搬したのでしょうか?
ネットショッピング業者も宅配業者もなかった古代に思いを馳せるほどに、「情報伝達」と「物流」のことが気になってしかたありません。
我が国だってほんの何年か前までは似たような状況だったのですよね。そう思うと、このIT文化の急激な発展には、本当に空恐ろしいものを感じます…。

<今日の本歌>
江口寿史「すすめ!パイレーツ」

Follow me!

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA