第182回 阿部薫とスコットランド信条

だからブロガーにおくる入院案内がポイズンで、昼下がりの恋人たちが孤独な週末なのならば、晴れときどき殺人は上役のいない月曜日の駆け落ちはブログとともになのだな。こんにちは、大島雅己です。

管理とか統制とか制御と聞くと、印象としては何だか窮屈で固くて厳しくて冷たくて機械的な感じがしますね。規則で自由を奪う、監視で動きを封じる、処罰で苦痛を与える、恐怖で人心を支配する…おおこれはイヤなものですね。

ではその反対は何かな。自由、無制限、独立…。大らかで緩くて柔らかい感じでしょうか? 規則はなく誰が何をしてもよい。何もとがめられない。やりたい放題。適当、放置、いい加減、無政府状態、反乱、暴動…。だんだん好ましからぬものになってきました。やはりこちらに傾き過ぎてもダメですね。ベタな言い草になりますが、両者をいい具合にバランスした状態で釣り合いを取るのが理想なのだと考えます。

IT現場ではガバナンスという言葉で語られることが多いですが、最低限のルールやフォーマットとなるものを固めた上で、あとは自由に遊べるという構図が求められます。逆に言えば、ITが自由に遊んで発展していくための地場となるものを固めなければいけないのですが、なかなかここに焦点を当てようという動きにならないのが悩みどころです。コストばかりかかって目に見えるリターンがないからです。

ジャズの演奏では全く何も決めずに自由に音を出し合うフリーなものもありますが、たいては大まかなルールを決めておいてその上で自由に暴れるものです。考えてみると、もし本当に完全にフリーだということになれば、演奏に参加しないとか、そもそもその場に来ないというケースも考えられますね。

<今日の本歌>
たがみよしひさ「軽井沢シンドローム」

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