第156回 ペンローズの階段と諸法無我

なぜならもしあるブロガーが捕虜となっても、彼が自分の言葉を持っている限りは、牢獄の鍵を持っているのと同じなんだ。こんにちは、大島雅己です。

方丈記で鴨長明氏も言っているように、ものごとは常に移り変わり流れていく。同じ状態のままであることはなく、世の中は全てその渦の中にある。
まあそんなことをツラツラ考えながらこのブログのキャッチワードを「らせん」にしたわけですが、一方で人間の心理は物事の変化を好まない情勢にある。安定、不変、普遍、静的、永遠、恒常、不動、などというものが好まれがちですね。世間の諸問題の原因の一つはその辺にあるんではないですかなあ。

ITの世界ではパソコンとかスマホとか、その周辺のいろいろな関連機器とか、ソフトとかアプリとか、いろいろなモノがありますが、どんどん変わりますよね。次々と新製品が出て、ちょっと油断するとついていけなくなる。いつも最新トレンドに乗っかっていく人もいれば、かたくなに何年も前の骨董品みたいなものを使い続ける人もいます。どちらにしてもあれこれ面倒ですが、これはもうどうしようもない。どのぐらいの塩梅でその波に乗っていくか、自分で見極めていくしかないですね。

落語でも志ん生文楽だけにしがみついているのでなく、今の落語家や新作噺も聴く。音楽もクラシック一辺倒ではなく他のジャンルや先端音楽も聴く。その方が楽しいはずです。

<今日の本歌>
ドーデ「最後の授業」

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