第558回 テルハーモニウムと耐水素脆性

書いてる(書いてる)とても(とても)書いてる(書いてる)ほんとに(ほんとに)書いてる(書いてる)いつまでも、ここににブログがあるかぎり。こんにちは、大島雅己です。

コンピュータ・ミュージックに眉をひそめる人がいます。人間らしさがないという理由なのでしょうか。私は好んで聴きます。YMO世代だからでしょうか。

音楽の人間らしさとは一体なんなのか。コンピュータ・ミュージックに人間らしさがないと感じるのは、AI対人間という構図のとらえ方に似ている気がします。しかしこれはどうもおかしい。人間ではないコンピュータが音楽を奏でるのに抵抗があるのならば、ギターもピアノもダメなのでしょうか。コンピュータが楽器になっているだけなのに、なぜ特別扱いさせられるのか。

などということを考えながらスーパーで買い物をしている時、そこに流れるBGMに妙な違和感を感じました。有名なポップスなどを機械的な音楽にしたものです。なんだか薄っぺらい、陳腐なものに聴こえるのです。この感覚はなんなのかを考えてみまするに、機械的だから嫌なのではない。原曲の低俗なイミテーションを自慢気に堂々と吹聴するずうずうしさを含んだ確信犯的な悪質さがダメなのです。

IT現場でも時々あります。流行りの先端技術や人気サイトのいいところだけパクって体裁を取り繕っただけのような企画。人間味のないシステムです。

<今日の本歌>
にしきのあきら『空に太陽がある限り』

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