第376回 ラッダイト運動と高踏派詩人

余間居寡歓、兼此夜已長。偶有名酒、無夕不飲。顧影独尽、忽焉復酔。既酔之後、輒題一個博客自娯。画面遂多、辞無詮次。聊命故人書之、以為歓笑爾。こんにちは、大島雅己です。

人生の目的とは何でしょう。人間らしい生活とはどういうものか。理想の暮らしとはどんな姿なのか。

発明や創造の歴史をながめてみると、人は自分の生活や仕事のために次々に便利なものを作り出してきましたね。その根底には「時間を節約したい」「手間を削減したい」「健康を増進したい」という欲求があったものと思われます。家電製品も交通手段も医療器具も背景にあるのは人々のそんな願いをかなえるためのものですよね。

で、その結果どうなったか。望みどおり、自由な時間が増え、余計な労力はなくなり、健やかな身体を手に入れることができるようになったでしょうか。ぬっ。なんだか素直にそうも思えません。現代人は時間に余裕などなく、余計な労力に振り回され、心身ともに病んでいないでしょうか。あれっ。とすると、この発明の歴史は一体何のためのものだったのか。ウーン。

ITで何かを実現しようとする時、そんなことも考えたいものです。

芸術の目的は、芸術を生み出したいという芸術家の想いであると思いますが、ここに経済とか政治が絡んでくると話の方向が変わってきますね。そなってもらいたくありませんが。

<今日の本歌>
陶淵明『飲酒二十首並序』

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